澄みきり=アッパレ=無知(コトシロ)
古事記によく出てくる
「アッパレ」という表現、
あるいは「清明」という表現、
神ながらの道では、これらを
何よりも重要なものとして
描いています。
普遍的な大生命=普遍的な大清明です。
アッパレも、清明も、
澄みきった意識状態のことで、
そこには妄想も迷いもないために、
宇宙的エクスタシーを発しています。
今ここに存在することの歓喜です。
私たちのニュートラルな基本状態です。
全てを知ろうとする意、
それが虚空の天意でしたが、
そこには「素」(真の弥栄)を
「知る」ことだけでなく、
個々人の歪んだ視点と、
曲がった視点で「知る」
ことさえも含まれていました。
今までは、個人的な色がついた
歪んだ視点から物理次元を観察し、
人型生命体を観察してきました。
でも、歪んで屈折したデータ収集は
もう充分に済ませました。
このあとは、全体調和した
ワイドな視点から、
つまり、澄み切った広大な視点から、
この人型生命体の変容と
物理次元の変容を
「知る」という方向へと
虚空がギアを入れています。
アッパレ、清明、澄みきり、
明晰さ、無の知という状態は、
禅では「直心」(じきしん)です。
自分が無知であることを
ちゃんと知っている「素直さ」
のことです。
無知の意味は、
おバカさんという
意味ではないのです。
「自分は無だということを
ちゃんと知っている」
「澄み切った意識だということを
ちゃんと知っている」
という意味です。
無知の知です。
澄みきり状態には
「知」が無く、
完全にコトシロで
(=私たちはコトシロのヌシで)
無音で、無言語で、無思考で、
真っ白な空っぽです。
だからこそ明晰で、
冴え渡っています。
ほんのちょっとした
メッセージ情報にも
スグに気づけるような、
クリアで、クリーンで、
繊細な意識です。
これがゼロポイントであり、
このような澄みきり状態であれば、
自ずとニュートラルな
周波数になっています。
(澄みきりに関しては、
何冊めかの本にも書きました)
何も知らず、つまり何も経験していない
純粋な状態(ゼロの意識)には、
「無知であること
への素直さ」
がありますから、そこには
「反発」「反感」など
起こりようがありません。
いまだに「真の現実」や
「真の豊かさ」が何なのか、
全くもって無知(未知)
なのですから、
苦情も、言い訳も、泣き言も、
出るほうが変なのです。
個人的に経験したことが何であれ、
それだけを「これが全てだ」と思いこみ、
その経験の「知」だけを
水戸黄門の印籠のように
かかげてしまうと、
そこには傲慢さしかありません。
これは「知の無知」です。
他の何を見聞きしても
あなたの知らない愛の真実を
言ってもらっても、
素直になれず、
受け容れられません。
気づけません。
チャネリングできません。
澄みきった無、
アッパレな空っぽ、
素直な無知、
そういう時こそ、色々な「恩寵」に
はっきりと気付きます。
気付いて分かったなら、
また手放して、
もとの澄みきり(無知)に戻る。
ある方が、色即是空(空即是色)
という場合の「空」は無のこと、
「色」は「認識」のことだ
と書いておられた。
その通りかなと思います。
純粋に(ニュートラルに)
【認識】することのためには、
「澄み切った無」の意識
でなくてはならず、
素直な無知であるからこそ、
気付き(学びのチャネリング)
が深まり、拡大していきます。
出来事や状態への反発と
不満が残っているならば、
澄み切った意識に
なっていないからであり、
素直な謙虚さが無い
ということになります。(自戒をこめて)
目前の日常とつながり、
そのままを受け容れて、
アッパレで澄み切った意識で
切々と生きることが
大事なのだと思います。
それが天意です。
■以下は
もう少し、読む気がある方へ
「今・ここ」の意味を、
左脳的にも腑に落ちるようになさって下さい。
今とは「無」です。
澄み切った空の意識です。
(時間が無い領域です)
この「無」の意識を
物理次元や肉体という「ここ」へと
直結するのです。
「無」と「有」の次元を
ストレートにつなぐのです。
すなわち、余計な「中有」を
入れないことです。
中有とは、思考や感情や妄想
などといったような過去の
中途半端な「知」です。
「今」と「ここ」とが直結し、
「今・ここ」という統合状態
(天地のSEX)(意識と肉体のSEX)
になれば、虚空の弥栄創造が
一体どんなものであるのか、
はっきりと観えてきます!
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