センタリングは、独自体験への扉
ブッダやキリストのような人々も、
「私」という言葉を用いるけれど、
そこに自我はない。エゴはない。
彼らには、決まった人格も、
パターンもない。
彼らは虚空そのものとなり、
その虚空が、彼らの身体を通じて、
「私」という表現を使っているだけ。
つまり、個人的な彼らは
どこにも居ないのです。
虚空の愛が流れているだけ。
ある日、
ブッダは肉体死する寸前でした。
ブッダの最期の日、
沢山の弟子や民衆が
集まっていました。
皆、涙を流して、悲しんでいました。
そこでブッダは尋ねました、
「なぜ、泣く必要があるのか?」と。
誰かが言いました、
「もうすぐ、あなたが肉体を去るからです」。
ブッダは笑って言いました、
「センタリングしてから、
覚醒してから、
虚空とひとつになってから、
そこから四十年の間というもの、
私はずっと居なかった」。
「だから、悲しんではいけない。
私はとっくに去っていたのだ。
だから、今、肉体を去るわけではない」。
ブッダが「私は居ない」と言う時でさえ、
世俗的な「私」という言葉が欠かせない。
ブッダが言う「私」の真の意味が、
民衆に分かるだろうか?
あなたは真の中心を定めて、
そこに根付いているでしょうか?
あちこちに、中心が片寄って、
移動していないでしょうか?
真の中心を定めて根付くと、
(つまりセンタリングすると)
その中心は「全体ひとつ」になる。
虚空だけになる。
そうすると、
部分的な局所に分散されて動いていた
生エネルギーが戻ってくる。
あなたは虚空とひとつに溶け、
宇宙全体とひとつになる。
そして、生命存在の源泉
(根本的土台)
に根付くこと(センタリングすること)は、
ただの扉に過ぎない。
あなたがセンタリング状態で
味わうエクスタシー至福も、
決してそこに甘んじるための
天国ゴールではない。
あくまでも独自体験への扉、
単独冒険への扉に過ぎない。
あなたは、「独りある自由」
という最高の喜びと共に、
独自の体験の旅に
出ることができる。
心地よくセンタリングするのは、
あくまでも体験して「知る」
ための基礎がためであり、
センタリングを足がかりとして、
あなただけの意図を発し、
未知の体験へと飛び出すためだ。
センタリングは独自体験への扉です。
生命体の独自化、オリジナル化
のための基本土台です。
個人の人格が崩壊し、
解放されていく扉です。
あなたの意識が
常にセンタリングできていくと、
「自分は【全体】とひとつだ」
というエクスタシー感覚が訪れます。
(これがタントラの極意です)
ただし、あなたがどれだけ
「私は、全体とひとつだ」
と考えたところで、
あるいはその想像イメージを
ふくらましたところで、
そんなものは
センタリング以前です。
思考や頭の想像にばかり
片寄っているからです。
思考にも、イメージにも、
片寄らず、同一化せず、
無の虚空に自覚を
置き続けていくしかない。
虚空は無という中立な状態、
完全なバランス状態だから、
片寄った動きの「力み」は無いから、
緊張が起こるはずがない。
センタリングする時に
あなたに緊張が起こるのなら、
部分的な局所に
「力み」があるからです。
力みがあるのは、
あなたの中心が
全体的になっておらず、
局所に片寄っている証拠。
これではセンタリングとは言えません。
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