今を死ぬ=無限のいのちを生きる
北野武さん、個人的にものすごく好きなタレントさんではなかったけれど、何気なく実家近くのJR駅で手にした彼の本が、とても深く心に刺さった。
買うかどうか迷った時、プロローグの文章の「アッパレ感」に惹かれて、本の購入を決めた。常々、私も同じ思いだったからです。(以下はプロローグの一部です)
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他人の言ったこと、他人の書いたこと、あるいは他人の考えたことを、そのまんま鵜呑み(うのみ)にする性癖のある読者は、ここですぐさま本をパタンと閉じて、すててしまって頂きたい。
これから先は読んでもいけない。のぞいてもいけない。大変な目にあうから、やめておいたほうがいい。万が一、この忠告に従わず、その結果いかなる不利益をこうむろうとも、俺は知らない。
これから書くのは、あくまでも俺の考えだ。その考えを誰かに押し付けるつもりは全く無い。なるほどと思う人間もいるし、思わない人間もいるだろう。
腹が立つかもしれないが、それは読者の自由だ。ネットにじゃんじゃん悪口を書き散らすのも大歓迎だ。別に誰かを怒らせたくて、書いたわけではないけれど。誰かに同調してほしくて書いたわけでもない。
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※そして本文中には、「死を意識する」ことの大切さについてもちゃんと書かれてありました。
ただし、浅い死(肉体死)を前提としている感はぬぐえず、少し残念でしたが、それでも、金輪際の今を「切に生きる」という点は、全く同感しきりです。
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「メメント・モリ」という警句がある。
ラテン語で、「死を忘れるな」という意味だそうだ。
忘れちゃいけないのは、他人の死じゃない。自分の死だ。
現代人は、まるっきり忘れてしまっているといってもいい。
死を考えることは、生について考えることだ。
昔の人の性根がすわっていたのは、
少なくとも今の俺達よりは、
自分の死についてよく考えていたからだろう。
死を覚悟することが、しっかり生きることにつながると
知っていたからでもあるんじゃないか。
今の風潮として、まるで死を世の中から隔離しようとしているみたいだ。
おかげで俺たちは、死ぬことを忘れて生きている。
死から目をそむけることは、生から目をそむけることだ。
それこそ、「生きてる実感」なんて、どこからも生まれない。
現代人のモラルが低下したなんてよく言っているけれど、
もしそれが本当なら、理由はそれ(死から目をそらすこと)だと俺は思う。
(以上は、本文から抜粋)
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今日を限りとして、愛と喜びと感謝をもって「今」を深く死んでいくことは、今日を限りとして(今を限りとして)深く切に生きることと表裏一体なのです。
それによってのみ、無限のいのちを得て生きることができるからです。
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