自己否定と自己肯定の間
「HP」のトップページの「近日開催イベント」の欄に、個人セッション(Aタイプ・Bタイプ)の日程を少しですが掲載させて頂きました。満席御礼- 「近日開催セミナー」の欄には、特別セッションに関して掲載させて頂きました。
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以前と重複するかもしれませんが、プロの麻雀師であった桜井章一さんの経験を書かせて頂きます。
彼は、みずからの経験によってスピリチュアルなことを知っておられ、いつも感心させられてしまうのです。(以下はご本人の談)
人間は、暇になって考える時間が増えると、ろくなことがないのだ。あれこれ、よからぬことを考え出すからだ。
自分を否定したり、肯定したり、気分が変わる人が増えたのは、考える時間が増えたことと連動しているのかもしれない。
大きく一つの感情に揺れる人は、それと反対の感情にも大きく揺れる。
私自身は、自分を肯定でも否定でもないところに、いつも置いている気がする。
自己否定、自己肯定に限らず、私は一つだけの感情にそもそも大きく揺れるということがないのだ。
自己否定でもなければ、自己肯定でもない。そんな「第三の場所」を私はいつも探り続けてきた。
私は、希望と絶望、自信と不信、不安と確信、恐れと安心といった「相反する感情の間」に、自分をいつも置くようにしてきた。
感情を、タテ軸・ヨコ軸のある座標空間で表すとすれば、プラスでもマイナスでもない「ゼロ」になる場所がある。
このゼロにある感情とは、どのようなものなのか。
ゼロということは、いかなる感情も生まれてこない空(くう)のような場所なのか。悟りの境地のようなものなのか。
おそらくそれは、様々な種類の「相反する感情」の間を全て重ねることで現われる場所なのだと思う。
ただ、そこはもはや感情が支配する世界ではなく、純粋に感覚的な領域といっていいかもしれない。私は、そのゼロの地点を「ニュートラルな感覚」の世界と呼んでいる。
いわゆる本当の意味での自然体というのは、このニュートラルな感覚を足場に置いて、初めて生まれるものだと思う。
怒りにしろ、悲しみにしろ、希望にしろ、絶望にしろ、感情というものは基本、どこか力が入っているものだ。
こうした感情から、それらが持っている「力み」を取ると、相反する感情の間(ゼロ)に立つことができる。(力み、つまりエネルギーを抜くということ)
勝ってやろうとか、ヤバイぞとかいったような気負いも不安もなく、ただゼロの場にひたすら立ち続けていたような気がする。
ゼロの地点、ニュートラルな感覚には、一切の感情が消えてしまっているようで、同時に、全ての感情の芽がかすかに動いているような不思議な感触がある。
それを言葉にするのは極めてむずかしいが、確かに言えるのは、感覚が「ニュートラルなゼロ領域」に入った時、自分でも信じられないような常識はずれの強さとエネルギーが出てくるということだ。
ふだんから、相反する感情の間に立つ(相反する感情の「上位」に立つ)ことを習慣的にやっておけば、ニュートラルな感覚のギアはきっと入りやすいはずである。
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