虚しさや無意味を受け容れる
※昨日は、長野県の戸隠神社(奥社)にある「杉の木のほこら」まで行ってきました。
このブログの最後の方に、その杉の木からのダイレクト・メッセージがあります。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
片寄りなく全てを等しく受け容れている人、つまり特定の何かだけを主張しない人、主張なしにとどまる人は、それだけですでに「空」「ゼロ」「ニュートラル」に達している。
その「空」「ゼロ」の中に、無限のいのちが、その秘密や豊かさを注ぎこむ。
いのちというものは、真空に引きつけられるからです。
もし、あなたが本当に片寄りなく、「空」「ゼロ」になったなら、あらゆるものが勝手にあなたのもとへ訪れる。
何かを求めなくていい。片寄りをなくすだけでいい。特定のものを主張しなくていい。勝ち誇ろうとしなくていい。成功しようとしなくていい。プラスにしようとしなくていい。
そうすれば、誰もあなたを負かせない。あなたは真の勝利者になる。
このような、まるで逆説的な秘密は、一般的社会ではあまり人気がない。自我を強めるようなもののほうに人気がありますね。
何かに片寄ったり、主張しないこと。あらゆる二極の「両方とも」を受容して、空っぽになっていること。
無我になり、受容する愛だけで生きること。そうすれば、あなたが頑張ってやれるようなことは全て、ひとりでにあなたのもとへやって来る。
成功を求めなかった人が(満たされるべき野望を追い求めなかった人が)、突然、満たされていることを見い出すことになる。
………………………………………………………………………………………………………….
戸隠神社の、杉の木のほこらの前に立ったとき、あまりの「主張の無さ」にビックリしました。ご神木だぞ!というように威張っていないし、実に謙虚なのです。
周囲の木と比較すると、ある意味で貧相とさえ感じたほどで、参拝者は続々と歩いているのに、誰ひとりとしてその前に立ち止まろうとさえしない。
(人間の自我というものは、よほど有名で目立つものや雄大なものが好きなんですね。
だから、いつまでたっても真逆のものを統合できない。従って「進化・変化」できない。)
ただ、静かに私と友人だけが「ほこら」の前に立ち、そして、私がその木の「気」に意識を同調させていくと、静かなメッセージが伝わってきました。言語翻訳すると、以下のような内容になります。
私は『虚ろ(うつろ)の木』である。
心にポッカリと穴があいたような気分、
虚しい気分、うつろな気分、
それのどこが悪い?
充実感と達成感ばかりに人間は片寄り過ぎる。
だから、必ず、虚しさで中和される(ウツになって中和される)。
つまり、物事や人生の「虚しさ・無意味」をとことん受け容れたなら
ちょうどよい心地になれるのだ。
人は充実感ばかりを求める。
達成ばかりを求める。
物事の意味や意義ばかりを求める。
うつろな虚しさや、無意味なことから逃げたがる。
しかし、これらを全て受け容れて統合せよ・・・
ここは戸隠の地だ(戸を隠す地だ)!
戸、それは「仕切り」のことに他ならない。
「仕切り」によって分断が起こる。
「仕切り」があるから二極化する。
その「仕切り」を隠すとはどういうことだと思う?
それは「仕切り」をなくして
全体ひとつに統合するという意味だ・
「充実&虚しさ」
「有意義&無意味」
「有名&無名」
これらの二極化を統合せよ。
二極のどちらもありだ!
そして、どちらでもいいのだ!
………………………………………………………………………………………………………
10月の遠隔神儀のお知らせは、明日アップ致します。その前に、今日の内容はとても重要です。
ヒーリング・ラウンジStarHeart(スターハート)
〒464-0067 愛知県名古屋市千種区池下1-10-8
TEL : 052-761-4344
facebook : スターハートのfacebookはこちら