平等な分かち合いの世界? (続き)
(今日は、少し、有吉の怒り新党になったかも。笑)
みんなで分かち合って生きる社会・・・・・・・??う~~!
それは、誰かがすでに物理化して創ったものを(例えば、お金や食料を)、人数分だけ均等に分け合うということじゃないです。
分かち合いっていう言葉、それが声高に叫ばれるほどに、その奥からプンプン匂うものを感じてしまいませんか。
ただ単に食料・お金を欲しがって、全員で均等に「むさぼりあいたい」だけと違いまっか~?
みんなでもらえば怖くない・・・みたいな。
分かち合いの恩恵を受ける前に、自分はいったい何を全体社会に提供するべく、何をその場に持ち寄って参加するのか、考えてますやろか?
平等な分かち合いって、各自がそれぞれオリジナルな役割をめいっぱい全うし、何かを創造し、それをお互いに提供しあうことなんじゃないの?
表現しあうことなんじゃないの?
みんながそれぞれ好みも興味も違っていてこそ、真の分かち合い(貢献し合い)が可能になるのと違う?(和して同ぜず・・・です)
やたらと平等だの、分かち合いだの、そういうスローガンを声高に叫ぶ人の多くが、自己の利益や、権利や、もらうことを優先している気がする。(こう思うのは私だけ?)
貨幣制度が実際に在ってもいいうちは存続するし、それに代わるものが出てきたなら、もう誰にも必要でなくなったなら消えるだけのこと。それが中庸バランス(平等)ってことでしょう?
自分が何かだけをどうしても正しいと思うなら、それを全うして、遠慮なく素直に表現して、それで充分じゃないのかな?
他者を批判して、否定することまでしなくていいんじゃないのかな?
そんな暇があるなら、もっと大きなハートの持ち主になったほうが楽しくないかな?
他者って、必ず「いつか、どこかの自分」なんだし、結局は自己否定になっちゃう。
それから、他者のことをあまり構わないほうが、他者自身が気付くことを早める。
もうご存知だと思いますが、何かを否定すれば、その否定したものは必ず敵対してきて、もっと二極化が強くなっていくだけなのですから。
そのうえで、もちろん、何かを強く否定することも全然アリです。
どのみち、それを賛成する人が同じ数だけ創られるから。(いやはや・・・。)
※今回は、実は私の怒りというよりも、そういう情報がシンプルに流れてきたので、そして腑に落ちたので、書かせて頂きました。
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