自我(=思考)を超える→繁栄進化→不死
師、いわく・・・
昨今の人々は、座って瞑想し、ひたすら己の自我を見つめ、
それを内観と呼んでいる。
そのようなやり方にとどまり続けているなら、
どうして何かを得ることができるだろう?・・・・
座って瞑想しながら、
自分の思考(=自我)や感情ばかりを
見つめることになりかねないのです。
多くの人の場合、ふだんは世間の雑多なことに没頭しているので、
自分が洗脳操作されている元凶としての思考をちゃんと正視したことがない。
ですから、瞑想の時間を持つとき、
しばし外側の世間を離れることができ、
内側にある思考が鮮明になります。
思考に対して敏感になり、感情にも敏感になりますが、
ここで止まってしまうならば真の瞑想ではないのです。
このような瞑想だけでは、思考(=自我)を超え、時を超え、死を超えてゆくことができません。
自分が見ている対象が思考や感情だけであるなら、
自我以上のもの(=神)を知ることができません。
自我とは自意識のことです。
それは思考の寄せ集めでしかありません。
その思考の固まりのせいで、
私たちは「私が有る(在る)(居る)」という自覚を持ってしまう。
この自覚は、連続する思考に他ならない。
これが人間自我のカルマ・パターンというものです。
そこに生命はなく、光はなく、
すなわち実体などなく、偽物(ガセネタ)であり、幻覚なのです。
この連続する思考は、制限プログラムでしかない~~~~!
ただ、無意識の思考の動きがあまりにも速くて見えないので、
一気に無我にならない限り、「私」がなかなか解除できません。
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【もっと読みたい方へ】
中国の八仙の一人である呂祖いわく、
人はみな、自意識をもった状態から、
自意識をもたない状態へと移行しなくてはならない・・・と。
自我から無自我(=空・ゼロ)へ、自己から無自己へ、私から無私へ。
自我は、つかの間の現象であり、
潜在の中から顕在した一部分にすぎず、
非常に小さく粗雑です。
無我は、顕現していない潜在性であり、
果てしなく永遠無限です。
ブッダいわく、
身体の内に、天地が未だ現れる前にあった「無形」を求めなければならない・・・と。
私たちの全身の中で、
天地が創られる以前からすでに存在した「無形の本質」、
つまりゼロが、今もなおここに引き継がれ、
鼓動し、息づいているのです!
天も地も何ひとつ生まれず、
一切の「時の空間」や「有形」が姿を現さなかったとき、
あらゆる全てが種子(宇宙の精子)の状態であったとき、
そこにすでにあったイキイキした静寂。ゼロ時。
このゼロ時が、ノープログラム(思考・言語なし)の状態!!!
その無があなたの真の質で、そこと一体化し、それを味わっていくなら、
自動的におのずと「時の空間」や「有形」が発生し、
あなたは永遠に繁栄進化していく状態になるのです。
その状態を「不死」と呼ぶのです。
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