中庸の「感性」・・・(前文の続き)
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昨日の大阪の講座にて、かなりディープに腑に落ちたのが、中庸の「感性」の重要さです。
現実人生は「理屈」や「理論」や「言語」そのものが創るのではありません。
DNA情報自体が創るのではありません。情報があってもそれを運ぶものがなくては創造は起きません。
情報を起動し、理論の内容を動かして現実化するのは、いのちという愛の波動であり、それは感情を超えた「中庸」という「聖なる感性」です。
「理屈」「理論」「言葉」は、選択した項目でしかないからです。
同じ言葉であっても、同じ論理を口にしていても、感情に浸った状態のAさんがそれを思ったり言う時と、中庸な感性でのBさんが思ったり言う時とでは、現実結果が全く違ってくるのです。
感情が湧くのは、個人的な視点や偏見だけに片寄るからです。全体的な総合的な見方をしないからです。感情が湧けば、必ず力み(りきみ)と緊張が生まれます。
不安が湧くのは、「自我が一人で生きている」という偏見しかないからです。いのちという光の体(神の体・光の柱)が共にあり、そこが個人の肉体を導き、生きる後押しをしてくれていることを忘れているからです。
それを勝手に忘れて、感謝するどころか、不満や不安を持つ人は、必ず攻撃性も同時に持つことになります。
(以下の赤字部分は、師匠の話しから抜粋)
ハイテンションと落ち込み、希望と絶望、自信と不信、否定と肯定、不安と期待、といった【相反するベクトルの感情】のハザマに、自分をいつも置くようにしてきた。
感情を座標空間であらわすとすれば、プラスでもマイナスでもないゼロになる場所がある。
このゼロにある感情とはどのようなものなのか。
ゼロということは、いかなる感情も生まれてこない空(くう)のような場なのか。
禅僧などが達する悟りの境地のようなものなのか。
おそらくそれは、様々な種類の【相反するベクトルの感情】のハザマを全て重ねることで現れる場所なのだと思う。
ただ、そこはもはや感情が支配する世界ではなく、純粋に感覚的な領域といっていいのかもしれない。
私は、そのゼロの地点を【ニュートラルな感覚】の世界と呼んでいる。
いわゆる本当の意味での【自然体】というのは、このニュートラルな感覚を足場に置いて、初めて生まれるものだと思う。
(このニュートラルな感覚、中庸な感覚を「よろこび」といい、感情を超えた永久感覚です。通常の喜怒哀楽でいうところの「喜」は相対的なハイテンションを意味し、中庸の絶対的な「よろこび」とは異なるのです)
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私たちの本体である光の体(光の柱)には、無限のDNA情報があり、それらがあなたのハートを通じて肉体へダウンロードされます。
先日、皆様全員に、もれなく「光の体の活性」をさせて頂きました。このあと大切なことは、各自の肉体レベルで受け取り続けて頂くことのほうです。
受け取るためには、光の体と全く同じような感性のヴァイブレーションになっている必要があります。それが「中庸な感性」です。
ハイテンションと重い落ち込み感、疑惑と盲信、不安と期待、焦りと怠惰、何としてでも生き延びようと頑張る思いと、もう死んでしまいたいという思い・・・・
そういう相反する感情から等しく距離を置く。あるいは等しく重ねる。そのような肉体感覚であって下さい。
ちょうど画像のように、大きな手から(大いなる光の体)から、随時、小さな手(物理的な肉体)へと手渡される無限DNA情報・・・。
小さな手が感情によってブレていては受け取れない。感情でブレていては決して受け取れない。
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